【医師からのメッセージ】クリニックぱすてる 院長 東條 恵

 PWSに特有な脳システム(満腹中枢=視床下部の問題)の問題が知られていますが、多数派と共通した脳システムも不調ですが動いています。
 人は発達の中で、人間的脳・社会的脳システムが本能的脳システムを制御するように発達します。前者には、①心の理論システム、②抗ADHD機能システムがあると言えます。
 ①が未成熟な形で成長すると、他人の心を読むことが不調になります。
 ②が不調だと、不注意・多動・衝動性が出現します。これらはPWS でみられます。
 本能的脳には、③不安のシステム、④人への愛着システムがあると言えます。③④も不安定な場合がPWSではあります。このような見方も支援を組み立てる上で役立つと思います。

【医師からのメッセージ】間部裕代先生

プラダー・ウィリー症候群の子どもたち
    医療法人 美里みどり会 間部病院 小児科
    前熊本大学病院 小児科 助教
 
 私がプラダー・ウィリー症候群(PWS)の子どもと出会ったのは、まだ医師になって1年も満たない頃でした。その当時、小児科の学生講義で学んだだけで、PWSとはHHHO症候群で低緊張(Hypotonia)、知的障害(Hypomentia)、性腺機能低下(Hypogonadism)そして肥満(Obase)をきたす症候群で染色体異常だということしか知識がありませんでした。論文及び学会で「非典型的な太らないPWS」を報告しましたが(昔はそれだけでも症例報告できました)、自分の中では、もう少ししたら太るんだと思いながら報告したものでした。
 それから20年後(治療法がないので施設入所で受診中断。家族会の情報で受診継続して必要な治療をしたほうがいいと思われたそうです。)、小児科外来に来られ、太っておらず、中学校から施設に入所され、食事管理されており、現在も肥満はありません。男性ホルモン治療を希望され、ベッドから起き上がる時、腹筋で起き上がることができるようになったととても自慢にして、いつも見せてくれました。また、月一回母親といっしょに受診されることをとても楽しみに来院されていたことを思い出します。母親が、病気で倒れられ、性ホルモン注射を嫌がられるようになり、私の外来は卒業となりました。骨密度低下(骨折はない)以外内科的合併症はなく、眼科合併症(自傷に伴う角膜潰瘍)のみで、今はトランジット(精神科へ移行)しております。施設にそのまま入所されていますので必要時内科への受診(ちょうど受診されている精神科の系列の病院に代謝内分泌内科の先生がおられる)をお願いしております。

 最初に経験させていただいたこの症例は、GH治療(当時、適応となっていなかった)をされていないことと途中受診中断されていたことを除いては、最近、学会で薦めているPWSの治療と移行医療を含めた包括支援プログラムに沿っていたなあと感じています。35年前の症例なので病態も治療も解明されていませんでしたが、診断確定から発達成長の段階での多職種(栄養指導、内分泌、遺伝子、療育関係、ケースワーカー、家族会)の関わりがあり、ご家族の突然なご事情にも対応できたのではないかと考えております。その後も、たくさんのPWSの方々とお会いすることができ、子どもの成長発達と彼らを取り巻くさまざまな人との関わりから、知らなかったこと気づかなかったことなど色々学ぶことができております。感謝しております。

 皆様の中には、PWSの診断を受けたばかりの方、診断を受けてGH治療、運動発達訓練、療育を受けておられる方、栄養食事療法を学んでおられる方、学校に行くようになりさまざまな場面での行動問題に苦慮をされている方、二次性徴に悩んでおられる方、就労支援、移行先を検討中の方、合併症の治療をされている方、年代によってさまざまではないでしょうか?同じように見えて、それぞれに個性があり、新しい発見の毎日です。苦悩の毎日ですと思っている方もいるかもしれませんが、子どもの生涯を見据えて、今を楽しく笑顔で過ごしていただけたらと思っています。

 現在、PWSの病態、治療がかなり解明されてきて、どの時期に何があり何をすべきかということも移行医療を含めた包括支援プログラムが作成されています。地域や施設によっては、なかなか難しいところもあるかもしれませんが、ぜひ、PWSに関わる全ての方にご理解していただき、連携をとって、見守りとPWSの皆が自立して行けたらと願っております。一つ一つの目の前のトラブルに翻弄されず、落ち着いて対応してみましょう。そこには絶対に理由があるはずです。
 「食べたでしょう!」「食べてない!」「そこにお菓子があるからだもん!」「人のもの盗んだでしょ!」「盗んでいない!」「欲しかったんだもん!私んだもん!」「なぜ嘘つくの?いいかげんにしなさい!」「殴ったでしょ!」「殴ってないもん!」「友達が遊んでくれない!」「意地悪する!」「ダメでしょう!」「なんで怒るの?」「私悪くないもん!」このような言い合いも悪循環にならないように、様々な方向からアプローチしてみましょう。(たまには見ないアプローチも必要かも)1人で悩まず、様々な人たちに話を聞いてみましょう。きっと解決するはずです。

【専門職からのメッセージ】

=できる(do)の規範でみない、そこにいる(be)だけで奇跡的な存在=
                  言語聴覚士 斎藤久美子   
 私の職業は言語聴覚士(以下ST)です。多くはリハビリテーションの分野で大人の方の言語訓練に従事していますが、私は就学前のお子さんが専門で、発達が遅かったり、ことばに心配なことがあるお子さんのことばや発達が進んでいくよう応援するのが仕事です。
 子ども分野のSTは、ことばの遅れの他に、吃音、口蓋裂、難聴や脳性まひに伴う言語障がい、発音がはっきりしないとかサシスセソが言えないという構音障がいのお子さんなども対象としています。発音や話し方の指導は、カード等を見せて練習するのだろうと想像すると思いますが、私は主に「子どもと楽しく遊ぶ」ことです。但し漫然と遊ぶだけではなく、STとしての小ワザは上手に使っているつもりです。
 長くこの仕事をしてきて、見えてきたことがいくつかあります。
 1つは「子どもの育ちは、障がいやその心配があろうとなかろうとみんな共通」なのだということ。従って子どもについての親の心配ごとも結局は変わらないものだということ。
 2つめは、ことばが育つためには「こころの育ちを丁寧に支えていかなければならない」ということ。 
 3つめは「子育てに失敗はない」ということです。

 以前、90歳近いおばあさんが60代の息子に「寒いからマフラーをして行きなさいよ」と言ったと聞いて、親はいくつになっても子どもを愛し、気がかりに思うものと自然な親心を痛感しました。子育てはとても時間と手間がかかり、疲れることもたくさんありますが、後から振り返るとその大変さが楽しい思い出となることが多いと思います。子どもと一緒の生活、子どものために費やす時間に「無駄な時間」はありません。楽しい時、苦痛な時、腹の立つ時、心配な時、それらの全てを含めた「子どもとの生活」「子どもと過ごす(今)」が楽しいものになるようにと願いながら、常に伴走させていただいています。
 珠玉のことばの中に「障害児教育は教育の原点」「療育は注意深く配慮された子育てである」というものがあります。一貫して「障がい」を持つ子どもたちの発達を支える場で仕事をしてきたからこそ、人間としての真実を多く学ぶこともできました。何かができるようにしてあげよう、何か能力をつけてあげようと努力する過程を、大人と子どもとが共有していく。結果的にはそのことができるようにはならないかもしれないけれども、できるようにしてあげようと思っている大人と一緒にいるこの時間自体が嬉しい、そういう時間を共有することです。
 「できたーできない」のレベルで、結果を評価するのではなく、共有しあう関係の中で育つ子どものみが、自己肯定感とか自己有能感などを持つことができるのだと思っています。「障がい」を持つ子どもたちとの生活の中ではこういう感じがごく自然にわかってきます。また、そういう価値観に立たなければ「障がい」を持つ子どもたちと正面からつきあえないから、ともいえます。人を育てる、ことばを伸ばすということについては実に様々な考え方、やり方があります。

 さて、遅れのある子のお母さんから「発音がおかしいが、練習を受けるほうがいいのか」「口を閉じないで噛んだり、よく噛まない」「丸飲みをする」等の相談をうけます。
 明らかな障がいがあってそのために上手に食べられない場合と、障がいや病気が見当たらないにもかかわらず噛まないなどの問題がみられることがあり、後者には食べることを支える姿勢や運動、認知、対人関係等に発達の遅れが隠されている場合があります。
 構音練習については、その子の障害の種類、程度、発達の様子、言語症状などによってそれぞれ違いますからひとまとめにして言い切ることはできませんが、発達レベルが少なくとも4歳以上で、狭い意味での言語練習に応じられることが練習可能条件になるでしょうか。構音練習にはまだ早すぎるようだけど、このまま手をこまねいていていいのかしら、というご心配も寄せられます。そんな時は、毎日の生活の中でこんなことに注意しながら構音の基礎をつくるようにと伝えています。
 ①飲むことの練習
 ②噛むことの練習(バランスのよい食事、食べ物の工夫、咀嚼を引き出す、頬、あご、唇周辺へのマッサージ、全身を使う遊びも十分に)
 ③吸うことの練習 
 ④吹くことの練習 
 ⑤うがいや歯磨き 
 ⑥舌と唇の動きを高める(舌を出す、舌で唇の右側左側をなめる、上唇下唇をなめる。唇の端<口角>や上下に自由自在に舌が届くことは構音の基礎運動として重要) 
 ⑦声を長く続けて出す(歌など)。

 紙面上1つ1つの手法は省きますが「基礎作りは食事」からということがお分かりいただけると思います。ことばにつながる練習は楽しく続けられてこそ効果がみえてきます。「ねばならない」「しなくちゃならない」という義務感ばかりでは疲れてしまいますよね。
 食べるための機能には口や喉の機能だけではなく、体の発達、心の発達、精神状態、感覚特性等、多くのことが関与しています。それらを総合して「今、この子はこのような状況に置かれていて、そのうえで食べ方がこうなっているんだ」ということを理解する必要があります。
 「食」は誰にとってもおいしいこと、楽しいことであってほしいと思います。障がいがあると上手に食べられなかったり、時には誤嚥や窒息などの危険を伴ったりすることがあります。でも小さい頃からの丁寧なサポートにより、子どもたちの摂食機能を伸ばしていくことができます。多くの子どもたちが大人になっても「食を楽しむ人生」を送れるよう、今後も微力ながら発達援助のお手伝いができればと考えています。

約 束

ぼくは何かあっても きちんと  言えないんだ     
だから ぼくの気持ち みんなに わかってもらえないんだね    
でも  本当は「ぼくのこと わかって欲しい!」って 
心の中で  叫んでいるんだよ                  
ぼくの頭の中は いつも不安や緊張                    
それに 心配でいっぱいなんだ
だから「目を離さないで」 いつも見守っていてね 
そしたら  安心できるよ 約束だよ!
                    SHOJI.E

隗より始めよ  社会福祉法人 更生慈仁会  職員 田宮 崇史

 大勢の中、彼は色々な人や物の動きが刺激になっていた。感情が高ぶり、何かしら怒り、嘆いていた場面を多々見ていた。他者から見れば「細かい事を気にして一人で何を怒っているんだろう?」って見える光景だが? 本人にとっては苦痛で嫌悪するものなんであろう。
 厄介な人なんではない。苦しんでいる人なんだと思えたのは、彼と会ってしばらくしてからのことだった。居室変更をしたり、居室入り口にカーテンを付けたり、食事を個別にする等して本人が刺激に感じる物事からの接触の軽減に努めたが期待できる効果は得られなかった。
 周囲も騒がしい、他利用者の拘りもある歴然とした環境では本人の気持ちも支援者の対応方法も変えることは難しかった。単純な事だが彼には集団生活で過ごす事は難しいのは分かっていた。しかし発想はありながら大鉈を振れなかった。十字園から出る選択は無いものとして棚上げしていた。社会資源の活用…。
 内部で従たる施設「ハイマート」の存在があった。少人数の利用者が寝泊まりする場所がある。しかし本人が納得するか、恐る恐るだが提案してみた。彼はあっさりと応じてくれた。どう本人にあった環境であるかを分かり易く説明しようか散々シュミレーションしたが、あっさりと冒頭で「行きます」と返事をしてくれた。杞憂に過ぎなかった。
 改めてハイマートを見学し、一つ一つ説明した時の彼の目は真剣でギラギラしていた。新しいことが始まるワクワク感の中に不安も少しはあったと思う。両親も前向きに応じてくれ、新しい生活が始まった。一週間も経たない内に彼は実習生さんに自分をこう紹介した。「ハイマートの〇〇(名前)です。」と。彼にとっての生活の場が移行されたと確信ができた。圧倒的に刺激が少ない環境になり、彼が気になり怒る事は格段に減った。だが課題は少なからず残り、対応方法をPDCAサイクルを繰り返し模索していった。現在もトライ&エラーを繰り返し行っている。
 そして、本人との信頼関係を結べるキーパーソンの存在を増やすこと。しばらくして敢えて自分は担当から外れ後方支援に徹した。キーパーソンを増やすことでどちらか不在でも不調になった場合、又、本人の強い要望がある際、円滑に対応できるようにひとりのキーパーソンだけでは対応が難しいと考え作り上げていった。
① 少人数にすることによって刺激を減らす。
② 本人の意志によって暮らす場を決めること。
③ 対応方法としての本人に配慮した個別支援。
④ 人とのふれあいや社会との繋がりを欠かさぬよう従たる施設、生活介護での日中の“めぐみ“の利用、余暇支援での外出。
⑤ キーパーソンを増やすこと。
 以上を大枠のテーマとして本人にアジャストした生活スタイルを提供することが一つの段階として確立できたと思っている。但し今後、彼自身の身体機能の衰えや医療的ケアを含め、考えていく必要がある。少人数制での対応から更にもう一段、本人にとって安心して過ごすことができる環境の工夫をしていくことを、今後も本人を取り巻く家族・事業所・関係機関で情報共有しながらより良い支援を考えていかなければならない。これでおしまいではない。本人にとっての幸福の追求を我々は日々頭に入れ、支援・対応を支援者から支援者へ縦横に繋いでいかなければならない。
 私的な意見にはなるが、彼に会わなかったらつまらなかった。どう模索してどう解決してどう維持してどう展開していくか等、色々と考えさせられた。日々疲れは生じたが、支援の筋肉を鍛えさせてもらった感じだ。彼から自分自身の良い刺激をもらった。自分自身は彼から刺激を減らした立場なのだが…。

障害特性への理解と安心できる環境づくり   社会福祉法人 更生慈仁会 職員 清水 元晴

 日本海に沿って走る国道402号線のすぐ近く、新潟市西区青山に十字園の従たる生活介護事業所『めぐみ』はありました。『生活介護事業所』という名称を掲げてはいたものの、ご利用者のほとんどが十字園に入所されている方で、その中にプラダー・ウィリー症候群(PWS)の男性ご利用者(以下、Sさん)がいらっしゃいました。
 前任者の後を引き継ぐ形でめぐみに着任した私は、事業所の運営やご利用者の支援はそのまま継続して取り組んで行くつもりで臨んでいました。Sさんとの関係についても過去に支援をさせて頂いた経験もあり、他の部署への異動で離れていた時期のブランクはすぐに取り戻せるだろうと高を括っていました。ところが、そんな甘い考えはすぐに打ち砕かれることになりました。
 Sさんが穏やかな気持ちで過ごせるように前任者がご本人と交わしていた約束事は、私がめぐみに着任すると同時に少しずつ守られなくなり、それを指摘する度に激しい怒りをぶつけられるようになりました。
 ある時は私との些細なやり取りで癇癪を起こし、翌日からめぐみに来られなくなることもありました。いわゆる「お試し行動」だったのだと思います。Sさんには専用の個室を用意したり個別日課を設定するなど環境面での対応は取っていた為、他に求められるのは支援者の対応の工夫だと考えました。
 そこで私はPWSという疾患について改めて学び直し、日々の関わりの中でSさんの障害特性への理解を深めようと努めました。
 男性職員が一人しかいない中で、まずは私との良好な関係を築くことが最優先の課題でした。日々の会話の中では妄想や思い込みと思われる話題が多くありましたが、決して否定せずに受け入れること、ご本人との約束は必ず守ること、頼まれ事はすぐに対応するなど小さな信頼をコツコツと積み重ねていきました。
 数年が経ち、日頃の支援を改めて振り返った時、Sさんの障害特性と強度行動障害の方の特性が似ていることに気付きました。周囲が騒がしい状況の時、自閉症の方の多くは不快な気持ちを言葉で伝えられない為に奇声を上げてパニックになったり、他人に対して攻撃的になったりします。
 その状況から本人を守ろうと、支援者は衝立で空間を遮断したり静かな部屋へ誘導するなどして環境を整えようとします。Sさんも同じで、周囲の状況が気になるから他の人に対して注意をしてしまったりイライラ感が強くなって声を荒げてしまう為、支援者は気になる刺激を回避しようと対応します。
 また、会話ができる為に理解力も高いと思われがちですが、実は言葉の意味を理解できていないことが多く、伝えた会話の内容がわからないことで混乱し不安感が強くなり調子を崩してしまうこともあります。強度行動障害の方への支援と同じように、支援を実行する際には事前準備をしっかりと行い、本人が安心できる環境を整えることが大切です。
 気付けば日々のSさんへの支援の中で「まずは肯定の返事をする」「気になる要素を取り除く」「行動を予測して先回りで対応する」「情報(予定)は構造化して伝える」といった私なりの支援の法則が出来上がっていました。これらを様々な場面で活用することで更なる信頼を得ることに繋がり、キーパーソンとしての役割を担えるようになっていきました。
 その後めぐみは青山の地を離れ、法人敷地内に新築した建物へ移転しました。Sさんは今も専用の個室で日中活動に参加し、新たなキーパーソンの下で元気に過ごされています。
 Sさんへの支援を通して感じたのは、障害特性をしっかりと理解することの大切さです。過剰に周囲の状況が気になり、不安から妄想や思い込みに発展し、うまく情報を整理できずにイライラ感が強くなり、声を荒げてしまう困った行動の数々。
 あまりにも強い口調で他の人を責めてしまう為に本人の性格によるものなのではないかと誤解されてしまいがちですが、PWSという疾患に起因する障害特性であり、混乱してイライラしている状況に一番苦しい思いをしているのは本人であることを支援者は理解しなければなりません。そこからが支援の始まりなのだと思います。
 思いもしない時に予期せぬ行動を取り、難しい対応を迫られることも多々ありました。めぐみで過ごしたSさんとの日々は試練の連続でしたが、困難な行動に直面する度に私自身が新たな知恵を生み出し、支援者としての引き出しを増やして頂いたように思います。
 今は私もめぐみを離れ、新たなご利用者の支援に当たっていますが、年齢を重ねていくSさんの今後の生活を陰ながら見守っていきたいと思っています。

繋  ぐ   社会福祉法人 更生慈仁会 職員 南波 龍太

 『俺ばかり怒られる、誰もわかってくれない。』そう言いながら、ベッドの上で布団に包まりながら大声で泣きじゃくる…。自分と出会った頃のSさんは、そんな毎日を過ごしていたように振り返る。理解されない苦しみや怒られることでの自信の喪失もあったように感じ取れた。
 Sさんを入所施設で担当させてもらったのは、入職して3年目だった思う。その頃の自分は技術も知識も未熟で、Sさんを救う術は何にも持ち合わせていなかった。
 出来る事は一緒に居る事のみで、Sさんの居室で色んな事を話したのを覚えている。好きなテレビ番組、美味しかった食べ物、行ってみたいお店、これから欲しいモノ、苦手なこと、言われて嫌な言葉…。今振り返ると、この事がより詳細なアセスメントになったように感じる。
 自分と1対1で関わる際はほとんど問題はないのだが、関わる人数が多くなると様々な問題が生じた。入所施設は集団生活であり、タイムスケジュールや他ご利用者の特性とのバッティング等、心穏やかに生活するためには障壁も多かったように思う。
 そんな中でも、今よりは快適に過ごせるようにと様々な支援方法を行ってきた。PWSの方とASDの方の脳構造の分析結果に8割程の類似性が見られるとの結果を受け、生活の中にトークンを取り入れたり、Sさんとの対話については文字やピトグラムを使い、視覚的アプローチを図ってみた。しかし、それだけでは様々な障壁を取り除くことは出来ず、Sさんを苦悩の中から救い出すことは出来なかった。
 そんな支援の行き詰まりを感じていた頃に、PWSAからイギリス、スウェーデンのGH視察のお誘いを受け、参加させて頂いた。詳細については割愛させて頂くが、1つのワードが心に強く残った。『職住分離』。自分は、Sさんを入所施設のご利用者という側面でしか見ておらず、ひとりの成人男性であることを考えようとしなかったのである。まずは自分の価値観を変容させて、Sさんと向き合おうと思ったのを憶えている。
 『職住分離』とは、日中の働く場所(活動場所)と寝食を営む暮らしの場が分かれていることである。フツウなことではあるが、障がいがあるというだけで難しいことになるのが日本の現実であった。まずはそこから変えて行こうと取り組み、16年が過ぎた。
 Sさんとはその後、14年共に過ごした。現在のSさんは活動の場を『めぐみ』に移し、暮らしの場を『ハイマート』に移している。自分が当時、良いと思ったSさんのライフスタイルを上司が理解し、資源を投資してくれ、同僚が形にしてくれ、後輩達が途切れないよう支援をし続けてくれている。全てはSさんが繋いでくれた想いであると感じている。
 今…『誰もわかってくれない』と泣いていたSさんの周りには、沢山のわかってくれる人がいる。

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